坂東太郎とはどこの川?利根川が日本一の暴れ川と呼ばれる理由と歴史

坂東太郎とはどこの川?利根川が日本一の暴れ川と呼ばれる理由と歴史の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

東遷事業によって流れを変えられた利根川ですが、それで完全に手なずけられたわけではありませんでした。渡良瀬川、鬼怒川、小貝川といった大支流の水を一手に引き受けることになった結果、中下流域では巨大な洪水が頻発するようになります。

江戸時代の寛保2年(1742年)の「戌の満水(いぬのまんすい)」では、関東一円で堤防が決壊し、甚大な犠牲者を出しました。さらに明治時代に入っても水害は収まらず、明治43年(1910年)の大水害では東京の下町を含む広範囲が水没し、これを契機に国を挙げた本格的な近代改修事業が始動します。

戦後最大の悲劇となったのが、昭和22年(1947年)の「カスリーン台風」です。連日の豪雨により、現在の埼玉県加須市(旧大利根町)付近で利根川の本堤防が約100メートルにわたって決壊。押し寄せた濁流は数日間かけて埼玉を南下し、東京都の葛飾区や江戸川区まで達して一面を水没させました。死者・行方不明者は流域全体で1,000名を超え、戦後の混乱期に壊滅的な打撃を与えました。

この未曾有の惨状を受けて、日本の河川行政は「堤防を高くするだけでは防ぎきれない」という現実を直視し、上流ダム群と遊水地を組み合わせた総合的な治水計画へと大きく舵を切ることになります。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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