大津事件の真相と闇|ロシア皇太子襲撃の動機と司法の独立の真実
Q1:津田三蔵の動機として「西郷隆盛の生存説」が関係していたのは本当ですか?
A1:事実です。当時、西南戦争で自刃したはずの西郷隆盛が実はロシアに逃れて生存しており、ロシア皇太子の来日に合わせて日本へ帰還し政府転覆を図るという流言が一部で信じられていました。武士階級出身で西南戦争に従軍した津田は、この噂に過剰に反応し、ロシア皇太子の来日自体を日本侵略の謀略と捉えて凶行に及びました。
Q2:大津事件の後、外務大臣の青木周蔵はどうなりましたか?
A2:青木周蔵は警備体制の不備と外交責任を問われて外務大臣を引責辞任しました。当時進めていたイギリスとの条約改正交渉は一時頓挫しましたが、青木の辞任と明治天皇の誠実な対応によりロシアとの決定的な外交断絶は回避されました。青木はその後、駐米公使や第2次山県内閣での外務大臣として復帰し、外交の第一線で活躍を続けました。
Q3:なぜ児島惟謙は「護法の神」と称賛されたのですか?
A3:国家権力の頂点である行政府(首相や内務相ら)からの直接的な圧力と脅迫に対し、一切屈することなく刑法の条文を厳格に適用させて「司法権の独立」を守り抜いたからです。三権分立が機能することを国際社会に実証した象徴的人物として、後世の法曹界から崇敬を集めました。
Q4:ニコライ2世はこの事件で日本を嫌いになったのでしょうか?
A4:ニコライ2世は自らの日記に「日本や日本人を恨む気持ちは毛頭ない。狂人による凶行に過ぎない」と書き残しており、明治天皇の手厚い見舞いや日本国民からの大量のお見舞い電報・謝罪の手紙に感謝を示していました。ただし、後の日露戦争においてニコライ2世が強硬な態度を崩さなかった背景には、この事件による潜在的な不信感や東洋への蔑視が少なからず影響したとする歴史家の指摘もあります。