デヴィ夫人の若い頃が絶世の美女!東洋の真珠と波乱万丈な経歴の真相
1959年(昭和34年)6月、国賓として来日していたインドネシアの初代大統領、スカルノ大統領と帝国ホテルのバーで運命の出会いを果たします。当時58歳の大統領は、当時わずか19歳だった七保子さんの圧倒的な美貌と、堂々とした知的な受け答えに一目で心を奪われました。
同年秋、彼女は大統領からの熱烈な求愛を受け、単身ジャカルタへ渡ります。異国の地での生活は平坦ではなく、宮廷内の権力争いや言語の壁、文化の違いなど過酷を極めました。しかし彼女は短期間でインドネシア語を習得し、1962年には正式に婚姻。「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno=宝石の聖なる女神)」という洗礼名を授かり、インドネシアの大統領夫人(第3夫人)となりました。
しかし、栄華の時間は長くは続きませんでした。1965年に起きた軍事クーデター「9・30事件」により、スカルノ政権は事実上崩壊。軟禁状態となった大統領から「生きてこの国を出なさい」と命じられたデヴィ夫人は、命からがら日本へ脱出し、1967年に長女・カリナさんを出産します。その後、活動拠点をフランス・パリへと移すことになりました。