高嶋ちさ子と高島忠夫の関係は?家系図と秘話で迫る華麗なる一族の真相
ちさ子の実父である高嶋弘之は、芸能界の表舞台で脚光を浴びた兄・忠夫とは異なり、レコード会社の重鎮として日本の音楽ビジネスを根底から変革した伝説的人物です。 神戸出身の高嶋兄弟は、幼少期からハイカラな文化に触れて育ちました。兄の忠夫が関西学院大学を中退して新東宝に入社し、1950年代から映画スターとして脚光を浴びる中、弟の弘之は早稲田大学文学部を卒業後、東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック)に入社します。 洋楽ディレクターとなった弘之の名を世に知らしめたのが、「ザ・ビートルズ」の日本デビューにおける仕掛け人としての実績です。1960年代初頭、イギリスでブームの兆しを見せていたビートルズの原盤を聴いた弘之は、その異質なエネルギーを直感的に察知し、日本国内でのプロモーションを主導しました。『抱きしめたい』『プリーズ・プリーズ・ミー』をはじめ、当時の日本人が親しみやすい秀逸な邦題を次々と考案し、メディアを巻き込んだ巧みな戦略でビートルズ旋風を日本全国に巻き起こした立役者となりました。 弘之はビートルズだけでなく、加山雄三の音楽活動をバックアップしたほか、数多くの歌謡曲やフォークソングのヒット作を手掛けています。後年には独立し、クラシックやイージーリスニングに特化したレーベルを設立しました。 ちさ子がヴァイオリンを始めたのも、元を辿れば音楽プロデューサーである父の強い勧めによるものでした。兄・忠夫が表現者として昭和のエンターテインメント界の頂点に君臨した一方、弟・弘之は作り手・仕掛け人として時代のトレンドを創出したのです。フィールドは表と裏で分かれながらも、2人が放った天賦の才覚は、互いへの深い敬意によって結ばれていました。