高市早苗の学歴と疑惑の真相!畝傍高・神大から政経塾までの全軌跡
高市早苗氏の政治哲学を決定づけたのが、大学卒業直後の1984年に入塾した松下政経塾(第5期生)での日々です。同期には、後に民主党政権で内閣総理大臣を務めた野田佳彦氏(第1期生)に続く世代として、伊藤達也氏(元金融担当相)らが名を連ねていました。
松下幸之助翁が私財を投じて設立した松下政経塾は、毎朝の自衛隊体験入隊や100キロ行軍、徹底した掃除や座禅といった精神修行から、現場に飛び込んで汗を流す「現地現場主義」を叩き込む場でした。高市氏はここで関西弁丸出しの議論を戦わせ、松下翁から「国家のグランドデザイン」「財政と産業の自立」について直接指導を受けました。この時期の過酷な鍛錬が、現在も彼女の代名詞となっている「徹底的な政策オタク」としての執念を生み出しています。
卒塾後、米国研修を経て帰国した高市氏を待っていたのは、メディアの世界でした。高市早苗のキャスター時代の経歴は、1980年代末から1990年代初頭にかけてのテレビ界において異彩を放っていました。テレビ朝日系の情報番組『こんにちは2時』のキャスターや、深夜の激論番組『朝まで生テレビ!』の若手パネリストとして抜擢されたのです。
当時、まだ20代後半だった高市氏は、大物男性論客が怒号を交わすスタジオで、物怖じしない明快な口調と鋭いデータ引用を武器に堂々と反論。その度胸とルックスが視聴者の目を引き、一躍「論客キャスター」として全国区の知名度を獲得しました。このメディア露出が、地盤・看板・鞄(ジバン・カンバン・カバン)を持たない彼女が1993年の第40回衆議院議員総選挙において、無所属で奈良全県区から出馬し、トップ当選を果たす決定的な布石となったのです。