鬼才・升田幸三の勝負哲学と生涯|名人に香車を引いた男の真相
升田幸三を語る上で欠かせない最大のハイライトが、公式戦のタイトル戦において「名人を香落ちの手合割に指し込んで勝利した」という空前絶後の大記録です。現代のプロ公式戦はすべて「平手(互角の条件)」で行われますが、当時の王将戦には「三番手直り」という過酷なルールが存在しました。タイトル戦の番勝負でどちらかが3勝差をつけた場合、以降の対局は駒を落として対局を行う「指し込み(ハンディキャップ戦)」に突入する規定です。
1955年度の第5期王将戦七番勝負において、挑戦者であった升田幸三は、当時の将棋界の絶対的王者であり名人位を保持していた大山康晴に対して開幕から怒涛の3連勝を飾ります。これにより規定が発動し、第4局を千日手で挟んだ後の1956年3月8日、第5局において「大山名人の香落ち」という、名人の権威を根底から覆す手合割が実現しました。
当時、日本将棋連盟の首脳陣や大山名人は深刻な危機感に苛まれていました。名人が公の場で香車を引かれる(左の香車を取り外して対局する)ことは、江戸時代から続く名人の神聖性を著しく傷つけると恐れられたためです。しかし升田は一歩も引きませんでした。後手番となった升田は、香落ちという圧倒的優位に立ちながらも一切妥協せず、盤上を支配して大山名人を完膚なきまでに打ち破ります。
この勝利は、升田がわずか13歳のときに家出を決意し、母が愛用していた竹の物差しに彫り残した誓い――「名人に香車を引いて勝つ」を完全に成就させた瞬間でした。有言実行の伝説を完結させた升田は、翌1957年、第16期名人戦で再び大山を破って念願の名人位を獲得。すでに保持していた九段、王将と合わせて、当時の全タイトルを一人で独占する史上初の三冠制覇を達成しました。昭和30年代初頭、升田幸三は名実ともに日本将棋界の頂点へ登り詰めたのです。