甲斐国とは現在のどこ?山梨県との違いや武田信玄の歴史を徹底解説
武田氏が滅亡してから400年以上が経過した現在でも、山梨県内において武田信玄は単なる歴史上の武将ではなく、親しみを込めて「信玄公(しんげんこう)」と呼ばれ、絶対的な敬愛を集めています。甲府駅前には堂々たる信玄公銅像が鎮座し、毎年4月に開催される「信玄公祭り」には数万人規模の観衆とパレード部隊が結集します。
歴史社会学的な視点から現地を取材すると、県民が信玄公を誇りとする根底には、華々しい軍事行動ではなく「治水と法による民生安定」に対する深い感謝があることが分かります。
甲府盆地は、豪雨のたびに八ヶ岳や南アルプスから押し寄せる激流(釜無川・御勅使川)によって水害が多発する過酷な土地でした。信玄は私財を投じて約20年もの歳月をかけ、水流を分岐させて勢いを弱める画期的な土木構造物「信玄堤(しんげんづつみ)」を築堤しました。さらに分流地点の住民の税を免除して堤防維持にあたらせるなど、持続可能な防災インフラを整備したのです。
加えて、独自の分国法『甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)』では、「領主である自分自身が法に違反した場合も同様に処罰される」という治者不退転の姿勢を明文化しました。自然災害という抗えない脅威から命と農地を守り抜き、公平な統治システムを構築した事実こそが、今なお地域アイデンティティの中核として語り継がれている真の理由です。