賤ヶ岳七本槍・平野長泰はなぜ大名になれず旗本留まりだったのか?
大名になれなかった平野長泰ですが、一般的な旗本(小身の幕臣)と同じ扱いだったわけではありません。長泰とその平野家は、幕府から「交代寄合(こうたいよりあい)」という極めて特異で名誉ある家格に任じられました。
交代寄合とは、知行が1万石未満でありながら、大名と同様に参勤交代を行い、領地に陣屋を構えて独自の領国統治を行うことが認められた上級武士の枠組みです。旗本の身分でありながら、実質的には小大名と同等の格式を誇っていました。
長泰が領地とした大和国田原本(奈良県磯城郡田原本町)は、大和川の水運を活かした商業の要衝でした。長泰および歴代の領主は、寺内町の整備や楽市的な商業保護策を推進。田原本は「大和の商業中心地」として栄え、平野家は幕臣として確固たる基盤を築くことに成功しました。