賤ヶ岳七本槍・平野長泰の真実|なぜ一人だけ大名になれなかったのか
平野長泰が大名になれなかった最大の理由は、「豊臣政権内における職務の性質」と「軍事司令官としての独立性の違い」にあります。
加藤清正や福島正則らは一軍を率いて領国経営を行い、外征の前線に立つ「軍事司令官(方面軍の将)」として育成されました。一方で長泰は、秀吉の身辺を警備する「近習・馬廻(親衛隊長)」としての任務を長く務めていました。秀吉にとって長泰は手元から離したくない信頼できる護衛武将であり、大軍を率いて遠征する機会が少なかったことが加増のチャンスを狭める要因となったのです。
また、政治的な立ち回りにも差がありました。片桐且元のように政務・外交の奉行として頭角を現すでもなく、長泰は武骨な一武将としての立場を崩しませんでした。秀吉の死後、権力闘争が激化する中でも領地拡大のために策を弄することなく、自身の所領である大和田原本5千石の統治と秀吉直参としての誇りに生きたことが、大名への道を阻んだ本質と言えます。