厩戸皇子と聖徳太子の違いとは?教科書表記の真相と最新研究を追う
厩戸皇子の足跡を物語る最大の物理的証拠が、大阪の四天王寺と奈良の法隆寺(斑鳩寺)です。蘇我氏と物部氏の崇仏論争において、四天王に戦勝を祈願して建立されたとされる四天王寺、そして斑鳩宮の隣に造営された法隆寺は、いずれも飛鳥時代における仏教受容の最前線でした。
1939年の法隆寺若草伽藍跡の発掘調査や、近年の年輪年代測定法による科学的分析によって、現存する法隆寺西院伽藍は670年の火災後に再建されたものであることが確定しています。しかし同時に、その地下からは厩戸皇子が生前に建立した創建斑鳩寺の遺構がしっかりと発掘されており、「厩戸皇子の寺」という歴史的根拠は科学的にも強固に証明されています。
それにもかかわらず、SNSや歴史愛好家のコミュニティでは、「一万円札の肖像画だった聖徳太子は偽物だったのか」「教科書から消されたのは陰謀ではないか」といった極端な言説が定期的に拡散されます。多くの日本人が慣れ親しんだ「旧紙幣の肖像画(唐本御影)」自体、8世紀後半頃に描かれたと推測されており、本人の生前の風貌を写したものではない可能性が高いとされています。私たちが長年抱いてきた「聖徳太子像」は、後世の美術と伝承が織りなしたイメージの産物だったのです。