緑山スタジオシティは一般見学できる?Sasuke聖地の裏側と真相を徹底解説
緑山スタジオの歩みを紐解くと、昭和のテレビ放送創成期におけるダイナミックな経営決断が浮かび上がります。
1971年頃、東京放送(現・TBSホールディングス)は開局20周年事業の一環として、都心部の赤坂社屋から郊外への全面的な社屋移転計画を策定しました。その候補地として選定・取得されたのが、当時の神奈川県横浜市緑区奈良町(現在の青葉区緑山)の丘陵地でした。
その後、社屋全体の移転構想は見直され、赤坂の本社機能を維持しつつ、緑山を用地として活用する方針へと転換されます。こうして1981年、テレビドラマのパッケージ番組制作に特化した専用スタジオ「緑山スタジオ・シティ」が誕生しました。この開発に伴い、周辺地域の行政地名が「緑山」へと変更されたことからも、地域社会とスタジオが一体となって発展してきた歴史がうかがえます。
現場を牽引する経営陣にも、制作現場のDNAが色濃く反映されています。美術デザイナー出身の永田周太郎氏が代表取締役社長を務めるなど、クリエイターが働きやすいスタジオ環境の追求と、最新の美術・VFX技術の融合が進められています。昭和の『金曜日の妻たちへ』から、平成の『3年B組金八先生』、そして令和の『半沢直樹』や『VIVANT』に至るまで、日本のテレビ史を彩る傑作群はすべてこの地から送り出されてきました。