『また逢う日まで』誕生秘話と歌詞の真相|尾崎紀世彦が刻んだ昭和歌謡の奇跡
音楽史に燦然と輝く名曲の多くがそうであるように、『また逢う日まで』の誕生も平坦な道程ではありませんでした。また逢う日まで誕生秘話を語る上で欠かせないのが、1970年にリリースされたグループ・サウンズ後期のバンド、ズー・ニー・ヴーによるシングル『ひとりの悲しみ』の存在です。
もともとこの楽曲のメロディは、筒美京平が三洋電機のエアコンCMソング(インストゥルメンタル楽曲)として書き下ろしたものでした。その流麗かつファンキーな旋律に目をつけたレコード会社が、作詞家・村上悌に歌詞を依頼し、ズー・ニー・ヴーのボーカル・町田義人のハスキーボイスに乗せて『ひとりの悲しみ』として発売。しかし、期待に反してチャートアクションは振るわず、商業的には不発に終わります。
通常であればそのまま埋もれていくはずのマスターテープでしたが、作曲者の筒美京平はこのメロディが持つ並外れたポテンシャルを確信していました。筒美は「この曲はアレンジと歌詞、そして歌い手を変えれば絶対に天下を獲れる」と直感し、当時新進気鋭の作詞家として頭角を現していた阿久悠にリライトを託したのです。
阿久悠は当時の自著や回想録において、「従来の歌謡曲のような湿っぽい女々しさを完全に排し、背筋を伸ばしてドアを開けて出ていく男と女の潔さを描く」という決意のもと、タイトルから歌詞のすべてを白紙から構築し直したと述懐しています。こうして生まれたのが、後にまた逢う日まで原曲の影を完全に塗り替えることになる、あの力強い言葉の連なりでした。