ナンシー久美とダンプ松本の絆|確執説の裏に秘められた全女哀歓

ナンシー久美とダンプ松本の絆|確執説の裏に秘められた全女哀歓にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

ネット上の昭和プロレスコミュニティや掲示板では、しばしば「ナンシー久美とダンプ松本は現場で本当に仲が悪かったのか?」「バックステージでの派閥争いや確執があったのではないか?」という疑問が投げかけられる。しかし、当時の興行関係者や選手たちの自伝、手記を精査して浮かび上がるのは、私怨によるドロドロとした敵対関係とは一線を画す、「全女という特殊閉鎖空間における先輩と後輩の厳粛な境界線」である。

全日本女子プロレスは、入門年次がすべてを支配する絶対規律の体育会系組織だった。ナンシー久美は1976年デビューの「昭和51年組」。対するダンプ松本(当時は本名の松本香代)は1980年デビューの「昭和55年組」である。実年齢は同じ1960年生まれでありながら、全女のルールにおいてナンシーは雲の上の大幹部であり、松本は道場の雑用や洗濯、先輩の身の回りの世話に追われる最下層の新人だった。

当時の全女寮では、新人が先輩の目の前で直立不動を強いられ、少しの粗相で竹刀や平手打ちが飛ぶ凄惨なしごきが日常化していた。ダンプ松本が当時の回顧録で明かしているのは、理不尽に怒鳴り散らす一部の先輩に対する恐怖心の一方で、「ナンシー久美さんは必要以上に理不尽な暴力を振るう人ではなかった」という率直な敬意だ。ナンシーはクールで武道家然とした気品を漂わせており、感情に任せて後輩を虐げるタイプではなかった。確執の噂は、のちにダンプが極悪同盟を結成し、正規軍の先輩たちをリング上で血祭りにあげたショッキングなアングル(敵対抗争)が、バックステージの実態と混同されて独り歩きしたものに過ぎない。

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