おぎやはぎ矢作兼の現在と私生活|妻や子供・驚きの年収と愛車遍歴の真相
矢作兼を語る上で欠かせないのが、お笑い芸人としては極めて異例といえるサラリーマン経歴です。
東京都立北島高等学校を卒業後、すぐに芸人を目指したわけではなく、一般企業へ就職。ビルのメンテナンス関連会社を経て、上海と取引を行う貿易会社に勤務していました。若い頃の矢作は卓越した対人心理の読みと人当たりの良さを発揮し、弱冠20代前半にして社内トップクラスの営業成績を記録していたと明かされています。
当時の特番インタビューや手記で語られたエピソードによると、「相手の懐にスッと入り込み、売り込み感を一切出さずに信頼を勝ち取る」という営業スタイルは、現在のMC術やひな壇でのトーク術の原点となっています。上海勤務を経験するなどビジネスマンとして順風満帆な生活を送っていましたが、高校時代からの親友であった小木博明とお笑いの世界へ進むため、20代半ばで安定したキャリアを手放しました。
1995年、プロダクション人力舎から「おぎやはぎ」としてデビュー。当時の若手お笑い界で主流だったハイテンションなショートコントや激しいツッコミとは一線を画す、ボソボソとした日常会話のような「脱力系漫才」を展開しました。『M-1グランプリ』決勝進出を契機にその唯一無二のセンスがお笑いファンや審査員に衝撃を与え、瞬く間に全国区の人気を獲得していったのです。