なぜ赤坂氷川神社に予約殺到?吉宗ゆかりの縁結びと奇跡の真相を徹底解説
赤坂氷川神社の起源は、平安時代の天暦5年(951年)、蓮林僧正(れんりんそうじょう)が霊夢を見て現在のアメリカ大使館宿舎付近にあたる一ツ木村に奉斎したことに始まります。その後、江戸時代中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家出身の徳川吉宗が第8代将軍に就任したことで、神社の運命は大きく動きました。赤坂に紀州藩の中屋敷が存在した縁から、吉宗公は氷川明神に格別の崇敬を寄せるようになります。
吉宗公は享保14年(1729年)、老中・水野忠之に命じて現在地(今井谷)への遷座と新社殿の造営を決定。翌享保15年(1730年)4月に竣工したのが、現在も目にする総檜造り・銅瓦葺きの優美な権現造社殿です。吉宗公の代名詞である「質素倹約」の精神が反映され、過剰な極彩色を排した木目の美しさと質実剛健な佇まいが際立っています。
特筆すべきは、大正12年(1923年)の関東大震災、そして昭和20年(1945年)の東京大空襲において、赤坂一帯が激しい火の海に包まれたにもかかわらず、この社殿が類焼を逃れて奇跡的に生き延びたという揺るぎない事実です。社殿の傍らには、樹齢400年大公孫樹(港区指定天然記念物)がどっしりと根を張り、幹周り約7.5メートル、高さ25メートルを超える威容を誇っています。この御神木もまた、戦災で幹の一部を焦がしながらも力強く再生を遂げた生命力の象徴であり、訪れる者に計り知れない活力を与え続けています。
さらに境内には、江戸の「天下祭」で実際に市中を練り歩いたとされる貴重な江戸型山車が保管・修復されており、秋の例大祭である赤坂氷川祭山車の巡行時には、江戸元禄の活気と伝統美が令和の街筋へと鮮やかに蘇ります。