小泉総理が変えた日本と進次郎氏の現在地|構造改革の功罪と首相の条件

小泉総理が変えた日本と進次郎氏の現在地|構造改革の功罪と首相の条件の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

小泉内閣の誕生は、従来の派閥力学が支配していた永田町の常識を根底から覆す事件でした。2001年4月の自民党総裁選において、地方票の圧倒的な支持を背負って勝利を収めた小泉純一郎氏は、発足直後の内閣支持率で歴代最高となる85.5%(各社世論調査平均)を記録します。「恐れず、怯まず、捉われず」の姿勢を掲げ、田中眞紀子外相の起用や歯切れの良いワンフレーズ応答で国民の熱狂を呼び起こしました。

政権が掲げた「聖域なき構造改革」の中核は、バブル崩壊以降の日本経済を圧迫していた不良債権の抜本的処理でした。民間金融機関の主要行不良債権比率は、2002年3月期の約8.4%から政権末期には約1.8%へと劇的に低下し、デフレ脱却への足がかりを築いたと評されます。また、国と地方の税財政関係を見直す「三位一体の改革」や、道路公団をはじめとする特殊法人の民営化など、既得権益の解体に次々とメスを入れました。

その集大成となったのが、純一郎氏が政治生命を賭けた「郵政民営化」です。2005年8月、郵政民営化法案が参議院で否決されるや否や、衆議院を解散。「郵政民営化に賛成か反対かを国民に問う」として反対派議員に対立候補(いわゆる「刺客」)を送り込みました。メディアを巧みに巻き込んだこの2005年総選挙(郵政解散)で自民党は単独296議席、連立与党で327議席という歴史的圧勝を収め、法案成立を成し遂げました。

当時の特番インタビューや回顧録で語られた「信念を曲げてまで総理の座にしがみつく気はない」という生の告白通り、政策実現のために自民党内の反対勢力を「抵抗勢力」と位置づけて世論を味方につける手法は、ポピュリズム政治の先駆けとしても後世に強い影響を与えています。

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