新撰組メンバー一覧完全版!主要隊士の役職・強さ・壮絶な最期の真相

新撰組メンバー一覧完全版!主要隊士の役職・強さ・壮絶な最期の真相にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

新撰組の歴史は、身内による粛清の歴史でもありました。「士道に背くまじきこと」「脱走を許さず」といった厳しい局中法度は、違反者に対して即座に切腹や処刑を命じる鉄の掟でした。

芹沢鴨(筆頭局長):暗殺の真相
乱暴狼藉や豪商への押し借りなど隊の評判を落とす行為が重なり、会津藩の密命を受けた土方、沖田らによって文久3年9月、八木邸の寝所を急襲され落命しました。

山南敬助(総長):脱走と切腹の経緯
組織の軍事化を強める近藤・土方の方針に葛藤を抱き、元治2年(1865年)に置き手紙を残して無断離隊。大津で沖田総司に追いつかれ、自ら進んで屯所に戻り、掟に従って従容と切腹を遂げました。

近藤勇(局長):流山での投降と処刑
甲州勝沼の戦いで敗れた後、再起を図るため下総流山に陣を敷くも新政府軍に包囲されます。偽名を使って投降したものの正体が見破られ、慶応4年(1868年)4月、板橋刑場にて斬首刑となりました。

沖田総司(一番隊組長):結核による病没
池田屋事件の前後から肺結核を患い、鳥羽・伏見の戦いには参加できず江戸で療養。近藤勇の処刑からわずか約2カ月後、局長の死を知らぬまま千駄ヶ谷の植木屋で息を引き取りました。

土方歳三(副長):箱館・一本木関門での最期
蝦夷地に渡り箱館政権の陸軍奉行並として奮戦。明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の総攻撃を受ける弁天台場を救出するため出撃し、一本木関門付近で銃弾を腹部に受けて戦死しました。

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