岩倉使節団は何をした?条約改正失敗から近代化を導いた2年の全貌

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岩倉使節団の構成を検証すると、新政府がいかにこの航海へ国家の命運を預けていたかが分かります。団員46名、随員18名、留学生43名を含む総勢107名。その中心にいたのは、倒幕と維新を主導した実力者たちでした。

特命全権大使を務めたのは、公家出身で政府の最高実力者であった岩倉具視(右大臣)。そして副使には、長州藩の巨頭・木戸孝允、薩摩藩の指導者・大久保利通、長州出身で語学と国際感覚に長けていた若き伊藤博文、肥前藩の山口尚芳という、政府の要幹部がずらりと名を連ねました。

使節団に同行した留学生の中には、後の日本社会に多大な足跡を残す人物が多く含まれていました。最年少は、わずか満6歳で参加した津田梅子(後の津田塾大学創設者)です。山川捨松(後の大山捨松)らとともに日本初の官費女子留学生として渡米し、10年以上の留学生活を通じてアメリカの高等教育と教養を吸収しました。さらに、後にハーバード大学を卒業し日露戦争時の外交工作で活躍する金子堅太郎、慶應義塾の創設者・福澤諭吉の高弟たちも随行員や留学生として乗り込み、欧米文明の知見を貪欲に吸収する役割を担いました。

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