岩崎弥太郎と三菱の真実|極貧地下浪人から巨大財閥を築いた男の軌跡

岩崎弥太郎と三菱の真実|極貧地下浪人から巨大財閥を築いた男の軌跡を詳しくリサーチ! 知っておきたい 情報と解説を凝縮して配信します。

岩崎弥太郎の死後、三菱の舵取りを引き継いだのは16歳年下の弟・岩崎弥之助でした。弥太郎の長男・久弥がまだ若年であったこともありますが、弥之助の冷静沈着でバランス感覚に優れた才覚を弥太郎自身が高く評価していたためです。

弥之助は兄の死後、海運独占への固執を捨て、海運事業を日本郵船へ譲渡する一方、長崎造船所の払い下げや炭鉱・鉱山経営(高島炭鉱・吉岡銅山など)、そして東京・丸の内の広大な陸軍用地の買い取り(現在の三菱地所の原点)へと事業構造を大転換させました。弥太郎が築いた莫大な資金力をテコに、重工業・金融・不動産へと多角化を進め、多角型総合財閥としての三菱を完成させたのは弥之助の手腕によるものです。

その後、第3代総帥には弥太郎の長男・岩崎久弥、第4代には弥之助の長男・岩崎小弥太が就任。岩崎家の血族は、旧華族や政財界の重鎮(加藤高明元首相、幣原喜重郎元首相など)と婚姻関係を結び、岩崎弥太郎の子孫・家系図は日本の近代指導層の中枢を形成していきました。

弥太郎が遺した「機会は魚の群れのごとし。一度逃せば再び網に入ることはない」「事業の成敗は一に人の和にあり」といった数々の名言は、単なる冷酷な政商ではなく、研ぎ澄まされた洞察力と人材掌握の哲学を持っていたことを物語っています。

関連記事