沖縄ヤクザの現在と勢力図|旭琉會の歴史から壊滅の真相まで徹底解剖
沖縄の裏社会史は、文字通り血で血を洗う抗争の歴史でした。1960年代初頭から1990年代にかけて断続的に発生した第1次から第6次に及ぶ沖縄抗争は、本土のヤクザ抗争と比較しても極めて過激で悲惨なものでした。
特に1970年代、本土復帰を目前に控えた時期に勃発した第3次・第4次抗争は、日本最大の広域暴力団である三代目山口組の沖縄進出が引き金となりました。本土復帰に伴う莫大な公共事業や観光開発マネーを狙い、山口組系組織が沖縄の勢力と結託して進出を企てたのです。これに対し、「沖縄の利権は沖縄の手で守る」という強い危機感を抱いた島内勢力が結集し、1970年に結成されたのが沖縄連合旭琉会でした。
当時の裁判記録や関係者の証言録によると、市街地での白昼堂々の銃撃戦、手榴弾の投擲、カーチェイスによる襲撃などが日常茶飯事のように繰り広げられました。深作欣二監督の映画『沖縄やくざ戦争』のモデルとなった壮絶な死闘の数々は、フィクションを凌駕する凄惨さでした。
さらに悲劇を極めたのが、1990年に発生した第6次沖縄抗争(旭琉会と沖縄旭琉会の分裂抗争)です。この抗争では、私服で警戒中だった沖縄県警の警察官2名が暴力団員に射殺されたほか、下校途中の男子高校生が対立組織の組員と誤認されて銃撃・殺害されるという許されざる凶行が発生。この事件を契機に、沖縄県民の怒りは頂点に達し、警察庁による全国的な暴力団対策法(暴対法)制定への決定的な引き金となりました。